ふと目覚めた真夜中、ふと気づくことがある。直前の瞬間の記憶が、まったくないということに。眠りに「落ちる」瞬間を覚えている人はほとんどいないし、眠りの淵で時間がどれだけ経ったのかを、体の感覚だけで当てることもできない。毎晩繰り返されるこの「空白」は、私たちが最も身近に触れている、意識の限界地点だ。
毎晩の小さな消滅
哲学者デカルトは、考えている自分だけは疑えないと論じた。しかし眠りは、この確実性に静かな穴を開ける。深いノンレム睡眠では、自己の連続感が途切れ、時間の流れそのものが体験から消える。目覚まし時計の鳴る直前まで「8時間」を体験し続けているわけではない。意識がつながったままだったのか、それとも何度も消えては再点火していたのか、当人には判別がつかない。
興味深いのは、この問いが純粋な哲学にとどまらず、現代の脳科学が真剣に計測している対象だという点だ。意識の「オン/オフ」が切り替わる瞬間に近いとされる睡眠の入り口では、脳波に特徴的な変化が現れることが報告されている。意識という最も主観的なものが、脳という最も客観的な計測対象のどこで失われるのか。両者の接点を探る研究は今も続いている。
夢は、途中経過の報告なしに来る
夢を見ている時間、意識は「ある」。映像があり、不安があり、 物語が進行する。ところが目覚めて振り返ると、夢の始まりが思い出せないことがほとんどだ。物語の途中から、いきなり記憶が始まる。これは「意識は連続していたが記憶だけが途切れていた」のか、「意識自体が断片的に再点火していた」のかで、受け取り方がまったく変わる。
もし後者なら、あなたが「今の自分」と呼んでいる連続性は、毎晩のように停止し、翌朝どこか別の場所から再開していることになる。眠る前のあなたと目覚めた後のあなたは、途中経過の共有なしに、記憶という履歴書だけで同一性を主張し合っている、とも言える。
レム睡眠のパラドックス
さらに謎を深めるのがレム睡眠の存在だ。眼球が素早く動き、脳は覚醒時に近い活性度まで戻る。ところが身体の筋肉はほぼ停止し、外界からの入力は遮断されている。脳は「フル稼働」しながら、外界と切り離された世界を内側で生成し続けている。これは意識が「外界とのやり取りの産物」なのか、「脳が自分だけで点火できる火」なのか、という問いへの実験材料になる。
明晰夢を報告する人々は、この境界線をさらに曖昧にする。夢の中だと自覚しながら夢を見る、という状態は「眠っている」と「気づいている」が同時に成立していることを示唆し、意識と眠りを対立項として扱う既存の枠組みをゆるがす。
空白の向こう側
眠りについて考えることは、意識とは何かという最大の問いを、実験室ではなく自分のベッドで毎晩確かめられることを意味する。今夜眠りに落ちる瞬間、あなたの意識は消えるのか、それともどこかへ続いているのか。答えを持ち帰れる者は、まだ誰もいない。